2016年はVR元年と呼ばれ、バーチャルリアリティに関連する様々なニュースが駆け巡りました。
Oculus RiftやPSVRといったHMDの本格的な販売開始が象徴するように、かつては数百万以上したHMDをはじめとするVRのためのデバイスが百分の一以下の価格で、しかもより高精細・高機能な様々なデバイスが手軽に手に入れられるようになり、近年ではハンドトラッキングを用いるものも幾つか出てきています。
そこで、次世代のVRとも言えるハンドトラッキングならびに触覚を使ったVRコンテンツの可能性について、長年VRに関する基礎研究を行っている東京大学大学院情報理工学系研究科の谷川智洋氏にお話しをお伺いしました。

左が谷川智洋氏。
谷川氏の見解
VRコンテンツの高品質化
谷川氏:既にOculus TouchやVIVEなど、物体をつかんだり操作したりといった直接的なインタラクションが可能なものも含まれてきている。
これまで、VR世界をただ歩き回るといった限定的なインタラクションやゲーム的なインタラクションから、人間が現実の世界との関わりにより近い直観的なインタラクションが可能なVRコンテンツが今後も増えていくと思われる。
触覚のVRコンテンツ
谷川氏:VRのシステムがより身近になるに伴い、VRの特性を生かした非日常体験だけではなく、より普段の体験となじみ深い日常体験をベースとしたVRコンテンツの重要性が増してくる。
しかしながら、視覚や聴覚だけのVRコンテンツは、現実感・没入感を体験者に与える上で本質的に欠けたものとなる。
おそらく、前述の様々なHMDをかぶってVRコンテンツを体験した人は、今の高品質な視覚と聴覚によるVRコンテンツに心を動かされるとともに、ある種のもどかしさを感じたのではないかと思う。
その理由の一つは、我々の日常の生活空間において、普段、視覚や聴覚だけではなく、触覚や力覚、味覚や嗅覚、その他、身体感覚など様々な感覚情報を受け取りながら、世界を体験し行動しているのに対し、VRコンテンツではその感覚がないからといえる。
特に、目の前の物に触れられることや掴んだ物に影響を与えた実感を伴うかどうかは、その世界にいるという実感に大きな影響を与え、VR世界にいるというリアリティを感じる上でも重要な点となる。
例えば、Oculus Riftが開発者向けに先行販売された2013年、初音ミクと握手といったVR体験コンテンツが登場したことを覚えている人もいるのではないかと思う。
モータとリンク機構を利用した触力覚ディスプレイを使って、初音ミクと握手した触力覚を再現し、反応を体験者に返すことでより没入感を実現しており、現在体験できるような視覚的なコンテンツほど作り込んでいないにもかかわらず、体験した人からは非常に評判が高かったのは、まさに触覚や力覚がいかにリアリティに寄与していたかを示しているのではないかと思う。
ただ、一口に触力覚といってもいろいろな必要性がある。
手で物を掴むこと一つとっても、手の平や指先の皮膚を通して、触っていることや滑りやすさを認識し、落としそうかどうか判断したり、手首などに加わる力から重さや動かすのに必要な力を把握したりなど、様々な種類の触力覚に依存している。
逆に言うとこれらなしに物を掴んだ実感や思い通りに操作するのは難しい。
たとえば、正確で思い通りの操作が要求されるような設計支援や手術シミュレーションなどの応用においては、前述の物体の操作をはじめとしたより細やかなインタラクションが必要となり、触力覚は不可欠といわれている。
しかし、触力覚ディスプレイは、光や音といった比較的人工的な感覚の再現が容易な視覚や聴覚のディスプレイに対し、複雑なハードウェアを必要とし高コストになりやすいため、様々な分野に需要があるにもかかわらず普及が進んでいない。
これは既存の触力覚のディスプレイ技術が、体験者の手や指先にかかる力をモータなどアクチュエータにより物理的に正確に再現することで、触力覚そのものを単独で提示することで実現されてきたためである。
そのため、指先に触った形状をフィードバックする、表面の質感を伝える、手全体に反力を返すなど多種多様の触力覚の提示を、すべて同時に満たすことができる触力覚ディスプレイの実現と実用化にはまだ超えなければならない壁がある。
感覚間相互作用による触力覚提示
谷川氏:ところが、感覚の情報提示の新たな方法論として、ある感覚刺激に対する知覚が同時に受け取ったほかの感覚に対する刺激の影響で変化するという感覚間相互作用が、VR研究の世界で近年注目を集めている。
視覚と触覚の間においても多くの錯覚効果が確認されており、そもそもはマウスカーソルを用いた画面内の物体とのインタラクションにおいて知られてきた。
パソコンの処理が重くなり、マウスを動かしているにもかかわらずマウスカーソルがうまく動かないとき、マウスが机に張り付いたような感覚を覚えたことがある人も多いのではないかと思う。
この現象を体験者自身の手や指を用いた物体とのインタラクションに活用し、筋肉や腱の動きや姿勢に対する感覚などを通して知覚される手の位置や動き、それにかかる反力などを、視覚フィードバックを操作することによって、多様な特性を持つ物体との触体験を提示することができる研究が提案されている(http://www.cyber.t.u-tokyo.ac.jp/ja/projects/#cross_multimodal_interface)。
この技術を用いることで、手や指を動かしてバーチャルな物体とインタラクションする際に、提示したい物体の形状、大きさ、重さ、柔らかさ、表面特性に基づいて、体験者が視覚的に知覚する自身の手や指の動きや形状を操作することによって、様々な形状や重さの物体を把持している感覚を提示することができるようになっている。
すでに、Oculus Rift Touchを体験した方は、Touchデバイスには物理的な力が実際には発生していないにもかかわらず、自分の手があたかも物体を持ち上げたり振り回しているかのような物理的な力を感じたと思う。
つまり、視覚と触力覚の感覚間相互作用を用いることによって、上述のような触力覚デバイスなしで触力覚を伴っているかのようなVRコンテンツを提供できるようになり、ある意味すでになっていると言えると考えている。
さらに踏み込むと、人間の身体感覚は物を掴んだり操作するためだけに使われるのではなく、歩いたり階段を上ったりといった日常生活全般において使われている。
そのため、手や指を使ったインタラクションと同様に、歩くなどの実際の体験者の身体動作とVR空間におけるバーチャルな身体の動作の間に気づかれない範囲のずれを作りだした映像を提示して空間知覚を操作し、狭い実空間を歩き回っているにもかかわらず広大なVR空間での移動を体験可能にする技術も提案されている。
様々な深部感覚と視覚との感覚間相互作用を利用して視覚的に操作することで物体の把持や変形、液体や風との接触など様々な対象とのインタラクション、手や指だけでなく体全体を使ったインタラクションに対しても高いリアリティをもって実感を伴う体験することが可能になると考えられる。
触覚VRコンテンツの将来
谷川氏:VRコンテンツは、新しい技術を使った目新しい新奇な体験として話題性の観点からもてはやされる段階は過ぎつつあり、何を伝えるのか、どう役に立てるのかといった新しい段階に入ったと考えられる。
2016年に紹介されたVRコンテンツは、Oculus RiftになどHMDというハードウェアの制約から、見回すなどのインタラクションは可能であるものの、起こるイベントを体験するような受け身的なコンテンツがまだまだ多い。
しかし、触力覚を伴う体験は、実際に手や指など体を動かして能動的なインタラクションを可能とし、ゲームやエンタテインメントへの応用だけでなく、医療や設計製造などクリティカルな分野における応用も期待できる。
もちろん、本当の意味で触力覚を提示するデバイスを必要とする限り、触覚を使ったVRコンテンツの普及には様々なハードルがある。
しかし、前述の感覚間相互作用を利用したVR研究やOculus TouchでのVRコンテンツが示すように、視覚や聴覚しか提示できないVRシステムにおいても、インタラクションとそれに対するフィードバックの作り込みによって、実際の触力覚を伴うのと同等の体験を提示することができる。
その意味で、触力覚を使ったVRコンテンツはおそらく大きく普及していくと考えられる。
最後に、持論ではあるが、よいコンテンツとは、いかに心を動かすかどうか、人間の行動に影響を与えるかどうかというところにあると考えている。
その点で、触力覚を伴うVRコンテンツは、VR空間においても実際に能動的に物を動かし環境に対して影響を与えられたという実感をより強く持たせることができ、視覚だけのコンテンツより能動的な行動を誘発するコンテンツが増え、結果的により人々の印象に残るコンテンツになっていくのではと考えている。
そのため、触覚を使ったVRコンテンツが増えていくことは、VR元年の後の起爆剤になるのではと期待している。
東京大学大学院情報理工学系研究科 廣瀬・谷川・鳴海研究室
http://www.cyber.t.u-tokyo.ac.jp/ja/
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